« 2011年1月 |メインページ| 2011年3月 »

2011年2月の記事

2011年2月 1日

二月のカレンダー

「見つけました」とメッセージを添えて、先日、
卓上カレンダーをいただきました。

 
二月は ――、 小樽です!



あ、赤丸つけるの忘れてました。:-)

Permalink / コメント (0) / トラックバック(0) / 小樽雪あかりの路

2011年2月 2日

海がある小樽の人々は樹木には冷たいのかと思ったけれど

手宮線わきのポプラが伐採されて明日で4か月になります。
当時、ネットで見た限りでは、安全性が問題になったようですが、
私には、新しいものを作るために邪魔にされたとしか思えませんでした。

好きだったポプラが切られてしまって、小樽の街への気持ちがいっぺんに
冷める思いでした。

11月の小樽への旅はポプラ伐採計画を知る前に予約していました。
キャンセルしようかと考えましたが、複雑な思いのまま出かけました。

小樽でお会いした方々に「ポプラ、切られちゃったんですね」と話しかけたら、
どこでも、ポプラを惜しむ言葉が返ってきました。
でも、あのポプラはもうありません。「海の町だから、木には冷たいんですか」と
言ったら、この場所を教えてくれた人がいました。

11月16日、初音橋から花園グラウンドに回った時に見に行きました。


小樽桜ヶ丘球場の下です。道路の中央に立派な木が立っていました。
ブナの仲間のミズナラか、カシワの木でしょうか。
(先日のスナップ集の中に幹と葉のアップの画像がありますので、ご存知でしたら
 教えてください。)

 
桜ヶ丘球場からの帰り道に、市民会館に寄りました。


昨年秋に話題になったポプラです。


そう言えば...と思い出して、翌17日、なえぼ公園に行く前に、ここに行ってみました。


なえぼ公園の裏手の道路です。地図を見たら、ちょうどこのあたりが清水町と
赤岩2丁目の境になっていました。
2009年7月に初めてこの木を見たのですが、その時は暑さのなかで、
写真を撮るのを忘れていました。


どれも見事な木です。道路や建物を作る時に邪魔にされ切られてしまっても
仕方がなかったと思いますが、今も立派にそびえています。
この木々を残したいと願った人々、残すために努力した人々がいたことを知って、
嬉しい思いでした。

昨年11月の小樽滞在記は、これでおしまいです。


    ☆

二月の小樽は雪あかり ――。
今年は私にとっても13回目の小樽雪あかりの路です。

Permalink / コメント (0) / トラックバック(0) / 小樽へ

2011年2月 4日

立春、姫踊り子草

♪春は名のみの風の寒さや... と歌うのは気が引けるような、暖かい立春でした。


ヒメオドリコソウとオオイヌノフグリが咲き始めました。

どちらも早春にいち早く咲く可憐な花ですが、姫踊り子に対して
片や「オオイヌの...」という名前は気の毒な気がします。

でも、英語では Bird's-eye とか Cat's-eyes と呼ぶそうです。(※注)

※『原色日本植物図鑑 草本編1』(合弁花類)
  北村四郎・村田源・堀勝 共著、保育社刊 によりました。

Permalink / コメント (0) / トラックバック(0) / 千葉/まつど

2011年2月 6日

雪の北ホテル

塩谷の小樽迎浜館に着きました。
今夜はここに泊まります。



Permalink / コメント (0) / トラックバック(0) / モバイルから / 小樽へ

塩谷のあかりは冬木立のなかに

雪あかりの路塩谷会場に行きました。
今年は、伊藤整の文学碑を囲む冬木立の中にも
美しいあかりがともりました。



Permalink / コメント (0) / トラックバック(0) / モバイルから / 小樽雪あかりの路

2011年2月 7日

塩谷の朝です

北ホテル(小樽迎浜館)で朝を迎えました。
今、塩谷の海に雪が舞うのを眺めながら朝食です。
道新1面の天気らんは、
今日は冬型の気圧配置に戻って、日本海側は雪、ふぶく所も、との予報です。



Permalink / コメント (3) / トラックバック(0) / モバイルから / 小樽へ

北運河を歩きました

塩谷から戻って、北運河を歩きました。
カモメ呼ぶ少女の像も雪の中でした。
お昼がまだだったのを思い出して、
今、フリーランスです。



Permalink / コメント (0) / トラックバック(0) / モバイルから / 小樽へ

2011年2月 8日

石碑は何処に?

梅ヶ枝町へ「野藤坂」の石碑を見に行きました。
先日ゲストブックにメッセージをいただいて、
もう一度見たいと思ったのですが、石碑が見あたりません。
通りかかった地元の方と、近くの家から出てきた方に尋ねてみましたが、行方はわかりませんでした。



Permalink / コメント (0) / トラックバック(0) / モバイルから / 小樽へ

錦町のそば屋さんへ

初めて「かめや」に行ってみました。
店の表に浮き玉が飾ってありました。
天ぷらそば、美味しかったです!



Permalink / コメント (0) / トラックバック(0) / モバイルから / 小樽へ

お雛さまを眺めながら

アルチザンでお雛さまを眺めながらコーヒーを飲むのが、
毎年、雪あかりの時の楽しみです。
(と、毎年書いてる気がします。:-)
今日はキリマンジャロを濃いめでお願いしました。



Permalink / コメント (2) / トラックバック(0) / モバイルから / 小樽へ

朝里川温泉会場のあかり

小樽雪あかりの路朝里川温泉会場に行って、
今、帰りのバスの車内です。
今年はケータイでも撮りました。



Permalink / コメント (0) / トラックバック(0) / モバイルから / 小樽雪あかりの路

仲見世通りのあかり

昼間ここを通った時に、RiINO のマスターが
店先であかりの準備をしていました。



Permalink / コメント (0) / トラックバック(0) / モバイルから / 小樽雪あかりの路

花銀のあかり

今年も、桜の枝に桜の花のワックスボウルがありました。



Permalink / コメント (2) / トラックバック(0) / モバイルから / 小樽雪あかりの路

2011年2月 9日

ゆず紅茶

洗心橋を渡って、初音橋を渡って、紅葉橋を渡って...。
いつもの散策コースを歩きました。
花園橋を渡って、今、堺橋の Cafe DECO でゆず紅茶です。

6時過ぎの快速エアポートで小樽を離れます。
いい4日間でした。



Permalink / コメント (3) / トラックバック(0) / モバイルから / 小樽へ

2011年2月10日

消えた石碑

一昨日、梅ヶ枝町の野藤坂の石碑のことを小樽からケータイで送信しましたが、
もう少し詳しく書きます。


手宮公園の桜が見事に復活した 2006年5月、地元の fisherman さんのお宅に
お招きいただきました。前にも載せましたが、その時の画像です。
 

私が写っていて恥ずかしいですが、
石碑の大きさがわかると思います。

 
今回私が小樽に向かう直前の2月2日、このブログのゲストブックに
一通のメッセージをいただきました。

野藤秀史(のとうひでふみ)と申します

2006年5月のblogが検索で引っかかりましてお邪魔しております

 

祖父の名前が付いた坂(野藤坂)ですが

幼少の頃に交番と石碑の横で撮った写真が実家に残っているようです

 

自分もいい年齢になってきますとルーツも気になりまして

しっかり見ておきたいと考えるようになりました

 

実家(野藤常太郎の息子=私の父)は札幌ですが

今年の帰省では小樽に足を伸ばし野藤坂に行こうと思います

     (ゲストブックのリンクは、メインページ左下にあります。)

 
 
一昨日(2月8日)、野藤坂を訪ねました。


雪の中に建つ石碑を写して、ご子孫にも見ていただこうと思ったのですが、
石碑は消えていました。

坂の途中に移設されたのかと思って上まで行ってみましたが、みつかりませんでした。
下に戻って、通りかかった地元の方お二人に尋ねてみましたが、やはり、
石碑がどうなったか、わかりませんでした。

このことを野藤さんにお知らせしたほうがいいのか悩みましたが、
次の帰省の時に寂しい思いをされてもと考えて、昨日、小樽からの帰路、
新千歳空港の待ち時間にメールをお送りしました。

もしかしたら、石碑を別のどこかに保存することになった時に、
札幌のご実家には挨拶があって、まだお孫さんに伝わっていない
のかもしれませんが、私も消息を知りたいと思います。

野藤坂の石碑は Google マップのストリートビュー にも写っています。
札幌・小樽・函館エリアがストリートビューに入ったのは 2008年ごろ
だったでしょうか。

石碑が消えたのは最近のことなのかもしれません。

※小樽市のサイトへのリンクです。
 おたる坂まち散歩 第44話 野藤坂 梅ヶ枝町界わいの今と昔
 

記事の続きです(2011-02-11)

今日、塩谷の大竹秀文さんからメールをいただきました。

地元梅ヶ枝町の方に問い合わせたところ、「野藤坂」の石碑は、
 ・2010年の夏には、元の場所近くの家の敷地内に置かれていた。
 ・2010年の秋ごろ、トラックで搬出された。
とのことです。石碑が野藤坂を離れた時期がわかりました。

大竹さんは調査を続けてくださるとのことですので、今後のお知らせを
お待ちしたいと思います。

(大竹秀文さんが調べてくださった経緯は、
「雪あかりの塩谷から、最上町→梅ヶ枝町へつながりました」のところに書きました。)

Permalink / コメント (8) / トラックバック(0) / 小樽へ

2011年2月11日

雪あかりの塩谷から、最上町→梅ヶ枝町へつながりました

美しく感動的だった塩谷の雪あかりの路を振り返りながら、今年の滞在記も
「塩谷日記」から書き始めたいと思いましたが、最上のカネサ珈琲に行った
時のことを先に書きます。

今回の小樽滞在最終日の一昨日、最上のカネサ珈琲に行って、マスターの
佐藤さんご夫妻やカウンターの方々と話しながら、コーヒーとケーキと
アールグレイで1時間ほど楽しく過ごしました。

デジカメのモニターで塩谷の雪あかりの路の画像を見てもらいながら、
今年は去年にまして大変素晴らしかったことを話しました。
マスターの佐藤さんが「塩谷の会長さんがよくここに見えるから、今度伝えて
おきます。喜んでくれますよ。」と言われました。

それから、いろいろ経過があって前日に梅ヶ枝町の野藤坂に行ってみたこと、
石碑が無かったことも話しました。

   ☆

今日のお昼過ぎ、塩谷の大竹秀文さんからメールが届きました。

昨日カネサ珈琲に行って、私が塩谷の雪あかりの路を訪ねた話題で大いに
盛り上がった、と書いてくださいました。
そして、野藤坂の石碑のことを聞いたので、さっそく梅ヶ枝町の方に問い合わせみたと、
なんと、その途中経過を知らせてくださいました。

思えば、私は塩谷の伊藤整文学碑前で、大竹さんにお会いしていたのでした。
(ここに大竹さんのお名前を書くことは、先ほどご了解をいただきました。
 どうもありがとうございました。)



  塩谷の伊藤整文学碑、最上のカネサ珈琲、梅ヶ枝町の野藤坂です。

今回の滞在中に訪ねた3つの場所がつながりました。
小樽を訪ねて、今までも偶然の出会いやつながりがありましたが、今回は特に
不思議な「縁」を感じています。


大竹さんに教えていただいた野藤坂の石碑のことは、最初の記事に書き加えることにしました。
「消えた石碑」の記事の続き です。

Permalink / コメント (4) / トラックバック(0) / 小樽へ

2011年2月12日

塩谷のあかり~点火のころ

思わず、「きれいですね、こんな美しい雪あかり見たことないです」
と声をかけてしまったくらい ―― と、地元小樽の webmistress さんも
コメントで書いてくださったほど、塩谷のあかりは感動的でした!

少し時間をとって、当日の光景を思い浮かべながら、画像を選んで
ゆっくり書きたいと思っています。

とりあえず今日は、点火のころにケータイで写した画像です。

やがてこのあかりが、眼を見張り息をのむほど美しくなっていったのでした。

Permalink / コメント (0) / トラックバック(0) / 小樽雪あかりの路

2011年2月21日

塩谷日記 雪あかりの路 2011


塩谷の海を見下ろすゴロダの丘。
伊藤整文学碑広場と冬木立の中のあかりは、眼を見張り息をのみ、
立ち尽くして涙がにじむほど美しい光景でした。

雪あかりの路に毎年通って13年になりますが、
こんなに美しいあかりを見るのは初めてでした。

塩谷の皆さんに心からのお礼の気持ちをこめて、2月6日・7日の塩谷日記です。

 
2月6日、午後1時前にJR小樽駅に着いて、バスで塩谷に向かいました。


塩谷海岸バス停で撮った最初の画像です。海も、少し融けた手前の雪も
キラキラ光っていました。向こうに見える「北ホテル」(小樽迎浜館)がこの日の宿です。



去年11月、ここでお昼を食べた時に、塩谷中に電話して雪あかりの日程を教えていただいて、
休みがとれるか確認して電話しますからと、予約をお願いしておきました。

部屋に荷物を置いて、レストランで軽く食べて、歩いてゴロダの丘に向かいました。

 

ゴロダの丘の会場に着くと点火が始まっていました。

文学碑の前のあかりは去年よりもずっと多くなっていました。
去年ここでお会いした方々の姿を見つけて、少し話しました。
文学碑のあかりは、船と岩と魚のうろこを表したもので、塩谷にふさわしく、
漁の網も飾ったと教えていただきました。

伊藤整作詞の塩谷小学校校歌を印刷したシートが、入場記念品として
一枚一枚きれいにラミネートされて文学碑の前に置かれていました。

前日の開会式では、地元の子どもたちがここで校歌を歌い、伊藤整の詩の
朗読があるとお聞きしたのですが、早くから決めていた日程が変更できず残念でした。



「周辺を散策できるスケールの大きなコースも作りました」と、塩谷のかもめさんが
コメントで書いてくださったコースも楽しみでした。
あかりがともり始めた散策コースに入り、あたりが暗くなるにつれてだんだん変わっていく
あかりの光景を楽しむことにしました。

 


 
「雪あかりの路」の名前の元になった伊藤整の詩集『雪明りの路』。
その伊藤整が若い詩人の時代を送ったふるさと塩谷。
塩谷は、雪あかりの路の原点と言えると思います。

文学碑のあかりは造形に凝って奇をてらったものではなくて、
この塩谷だからこそというものでした。
散策コースは、林の中にただ点々と素朴なあかりを配置したのではなくて、
よく考えられたコースにひとつひとつ丁寧に作り上げられたあかりが
ともっていたのでした。

2日間のあかりに塩谷の皆さんの誇りと心意気がこめられていて、それが
旅行者の私に大きな感動を与えてくれたのだと思います。
 

          ☆
 

散策コースを歩いていた時、私を探し当てて下さった方がいました。
地元の竹田保弘さんでした。

塩谷中の先代の杉山校長先生を通じたご縁で、竹田さんには、一昨年
『ゴロダの丘-文学碑に関する資料集-』を送っていだだきましたが、直接お会いするのは
この時が初めてでした。

そして、なんと、竹田さんが手書きでまとめられた
『旧小樽市中学校創立期の人びととその周辺』をいただきました。


小樽市中学校の大正14年の『当直通知簿』の写しも収録されています。
そこに伊藤整の名前をみつけて発表されたのが竹田さんです。

文学碑広場でたき火にあたりながら、竹田さんからお話をお聞きしました。

私からは、若き日の伊藤整と北見恂吉がこの丘に寝転んで文学を語り合ったという話を、
以前、最上町の喫茶店で聞いたことなどをお話しました。

          ☆


その後、文学碑広場のあずまやで、今回も地元の皆さんと楽しい時間を過ごすことができました。

今日の記念にと、文学碑のあかりのデザインのイラストもいただきました。


翌日の午前中に、皆さんが後片付けに集まるということを耳にして、その時にまた来てみようと思いながら、いったん迎浜館に戻りました。

 
夕食は、去年教えていただいた輝楽飯店でした。
迎浜館の上の国道の交差点から輝楽飯店までは、1kmほどです。
ホテルから歩くのは初めてでしたが、無事往復できました。


          ☆

翌2月7日、


道新の朝刊題字下の天気予報には、
「冬型の気圧配置に戻る。日本海側は雪でふぶく所も。」と書いてありました。
窓の外の塩谷の海に雪が降り続いています。
 
 
 
もう一度ゴロダの丘に登って、その後、塩谷中学校を訪ねました。


塩谷中から小樽環状線を歩いて戻って、ゴロダの丘歩道橋のあたりに来たころから吹雪になって、
国道の交差点から海岸のホテルに下りる坂道は、前も後ろも見えないくらいでした。
道新の天気予報が大当たりでした。
 
 

ホテルに戻って、塩谷海岸バス停から次の次のバスに乗ることにして、
ゆっくりコーヒーを飲みながら、twitter でちょっとつぶやきました。


すると、数分後に、
「@sfujino お疲れ様です。聞こえるのが天国の音楽じゃなくて良かったですね!」と
絶妙な返信が返ってきました。
 

          ☆
 



一昨年の小学校の会場から数えて3回目の塩谷雪あかりの路でした。
今年の美しい光景は長く私の記憶に残ることと思います。

塩谷の皆さん、今年もありがとうございました。
またいつか、機会をつくってお伺いします。

Permalink / コメント (4) / トラックバック(0) / 塩谷日記 / 小樽雪あかりの路

2011年2月25日

雪の北運河

2月7日、
塩谷海岸からバスに乗って、12時過ぎに稲穂十字街に着きました。
たくぎんの温度計を見たら、-3℃。
いつもの雪あかりの時より少し暖かい感じでした。

ホテルに荷物を置いて、運河プラザに寄って、北運河を歩きました。

 





『カモメ呼ぶ少女』の像は、雪の中に立つ姿が一番美しいと思います。
この日は、手や足に雪が張り付いて、冷たそうでしたが。

Permalink / コメント (0) / トラックバック(0) / 小樽へ

2011年2月26日

Free-Lance の温度計

2月7日、
北運河から戻って Free-Lance で遅い昼食。
今まで和風きのこだったのですが、この日はツナクリームを注文してみました。
なかなかの美味でした!

午後3時半ごろ、Free-Lance の温度計は-2.5℃を指していました。

 

スパゲティを待つ間、ケータイで twitter を開いてみました。先ほど、
 14:23 「今、北運河を歩いています。」と送信したので、その後
何か入ったかもしれません。すると、

 14:31 「北運河の方が情緒があるんですよねぇ。雪あかりの会場になっていないのが残念。」
 14:49 「同感~」
 14:54 「こっそりやってしまうという「ゲリラ雪あかり」はいかがですか!」
とつながっていました。

出発前から決めていた塩谷の雪あかりのほかは、どこへ行くか当日考えることに
していましたので、あかりめぐりをやめて北運河に行くのもいいなぁと思って、
さっそくケータイから送信しました。

 (画像は、Janetter で再現したものです。)


その後、
15:52 「何時にどこ集合でしょうか? おっと隠密でしたね!」
というつぶやきもありましたが、『「ゲリラ雪あかり」はいかがですか!』と
つぶやいた人から何も具体的なお話がありませんでしたので、
軽い気分で発した冗談だったのかもしれません。

真に受けて反応してしまった自分が恥ずかしいです。これからは気をつけないと。


それはともかくとして、Free-Lance の温度計の場所は ――
ここです。

Permalink / コメント (0) / トラックバック(0) / 小樽へ

2011年2月27日

小樽探検隊のあかり

2月7日、
Free-Lance からホテルに戻ってひとやすみ。

部屋の窓から運河会場の様子を見計らって、
5時頃、浅草橋に向かいました。

 

運河の散策路に小樽探検隊のあかりがありました。


メンバーふたりが来ていて、準備をしているところでした。
去年より肩の力が抜けて、やさしいあかりができあがっていたように
思いました。


イベントが終わった翌14日、小樽探検隊の隊長さんが twitter で

「公開生放送も終わり、雪あかりも終わりひと段落と思ったが・・・
 肝心の自分達のオブジェの写真を撮ってない事に気がついた・・・。
 だれか撮ってないですかね?(笑)」

とつぶやいていました。

さっそく、上の画像を添えて、
「とりあえず、作業中のでもよかったら。7日です。」と返信しました。

あとから考えてみたら ――

ふだんチームワークよく計画的に活動している高校生たちですから、
実は、記録写真はしっかり撮ってあって、それに加えて、
会場を訪れた人が写した画像もコレクションしたかったのかな、なんて。

 ね、隊長さん。 :-)

Permalink / コメント (0) / トラックバック(0) / 小樽雪あかりの路

2011年2月28日

合同庁舎のあかり

2月7日、
中央橋から運河のあかりを見つめて、
その先へ行ってみました。

 


小樽地方合同庁舎前のあかりです。


  そう言えば ――


去年11月16日、ホテルの部屋から写した画像です。
港湾合同庁舎の解体工事が始まったところでした。

Permalink / コメント (0) / トラックバック(0) / 小樽雪あかりの路

« 2011年1月 |メインページ| 2011年3月 »

Copyright © 2005-2024 s.fujino All Rights Reserved.