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2011年12月29日の記事

2011年12月29日

遠い日の三陸の記憶

宮古、釜石、大船渡、陸前高田、気仙沼...
今年三月のあの日以来、毎日のように伝えられる東北の町の名前は、
私の遠い日の記憶を呼び戻すものでした。

 
もう遠い昔、私が二十代の頃に、十和田湖までサイクリングで往復しました。

その前の年に房総半島を一周して自信がついて、今度は、高校の修学旅行で通った発荷峠からもう一度十和田湖を見てみたい。そして、奥入瀬の遊歩道を自転車を担いで歩いてみたい、という思いでした。

一日に200kmぐらい走って、予定どおり4日目に十和田湖に着きました。
国民宿舎「十和田カルデラ」に2泊して、自転車で遊覧船に乗せてもらったり、
湖のまわりを走ったり奥入瀬を歩いたりして、楽しく過ごしました。

往路は国道4号線で内陸を走ったので、帰りは一日の距離も余裕をみて、三陸の海沿いに走る計画でした。
職場の同僚に岩手県下閉伊郡山田町の出身の人がいて、その人の実家で一泊とめていただけることになっていました。

ところが、帰りの2日目は大雨で、八戸から久慈まで走るのがやっとでした。
3日目は晴れて、山田町に着いたのはお昼ごろでした。ここで1泊すると予定より1日オーバーしてしまいます。

仕事の休暇を伸ばすわけにもいかなくて、残念でしたが、同僚の実家のご厚意を遠慮して、その日は夜通し走って帰路を急ぐことにしました。

釜石を通過したのが午後3時ごろだったと思います。大船渡が夜10時。そして、
陸前高田駅前で休憩して時計を見たら、ちょうど深夜0時でした。

午前3時ごろ気仙沼を通って... それから先は記憶が薄れてしまいましたが、
どこかで朝食をとって、少し仮眠して、往路で泊まったいわきの民宿にたどり着いて、その翌日、無事帰宅しました。

 
若かったな、無茶なことをしたな、と思います。
あの時、もっとゆっくりと楽しみながら三陸の町を走ればよかったなと思います。

山田町出身の職場の同僚は、私より二つか三つ年上の方でした。
その後、私は職場の異動があり、その方が退職されて故郷に戻ったと知ったのは、
だいぶ後になってからのことでした。

雨中に走った三陸の町、深夜に見上げた「陸前高田駅」の文字、夏休みに一人で
サイクリングで岩手県を一周すると言ってた地元の高校生...。
忘れかけていた遠い日の三陸の町と、遠い日の自分を思い出した一年でした。

     ☆

当時の職場の情報紙(会社で言えば「社内報」のようなもの)に、私の写真と
文が載りました。スキャナで撮ってここに載せたかったのですが、見つかりません。
(この記事を書くのが延び延びになってしまった言い訳です。)

来年、もう一度本気で探してみます。

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壊れてしまった記憶のカケラ


1999年2月、初めて小樽を訪ねた時の
懐かしい、かけがえのない記憶につながるグラスが
今年3月の地震で壊れてしまいました。

震災で自らの命を失った人たち、
生き延びても肉親や友人を失い、家を失い、職を失い、
故郷を追われ、未来への希望を奪われた人たちのことを思えば、
小さなグラスひとつですが、私にとっては深いショックでした。

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花は咲く 春がくれば 地の果て続くかぎり


3月の地震の後、こちらでも予定されていたイベントが中止になりました。
今年で41回目になるはずの、さくら祭りの歩行者天国やパレードもありませんでした。

テレビや新聞は毎日被災地のニュースを伝え、お米もパンもスーパーから消えて、
計画停電の日程に気をもみながら過ごした日々でしたが、それでも、
桜はいつものように見事に咲きました。

そんな頃に口をついて出たのが、あの
♪ 花は咲く 春が来れば 地の果て続くかぎり... のフレーズでした。
ドラマ『日本沈没』の主題歌です。
(柴咲コウが出演した映画ではなくて、昭和49年に放送されたテレビドラマです。)


『日本沈没』テレビ版のオープニングが YouTube にありました。
http://www.youtube.com/watch?v=OeJcsUfjTHE


原作の小松左京さんが亡くなられたのは、地震から4か月が過ぎた今年7月のことでした。

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