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2011-02-21 (月曜日)

塩谷日記 雪あかりの路 2011


塩谷の海を見下ろすゴロダの丘。
伊藤整文学碑広場と冬木立の中のあかりは、眼を見張り息をのみ、
立ち尽くして涙がにじむほど美しい光景でした。

雪あかりの路に毎年通って13年になりますが、
こんなに美しいあかりを見るのは初めてでした。

塩谷の皆さんに心からのお礼の気持ちをこめて、2月6日・7日の塩谷日記です。

 
2月6日、午後1時前にJR小樽駅に着いて、バスで塩谷に向かいました。


塩谷海岸バス停で撮った最初の画像です。海も、少し融けた手前の雪も
キラキラ光っていました。向こうに見える「北ホテル」(小樽迎浜館)がこの日の宿です。



去年11月、ここでお昼を食べた時に、塩谷中に電話して雪あかりの日程を教えていただいて、
休みがとれるか確認して電話しますからと、予約をお願いしておきました。

部屋に荷物を置いて、レストランで軽く食べて、歩いてゴロダの丘に向かいました。

 

ゴロダの丘の会場に着くと点火が始まっていました。

文学碑の前のあかりは去年よりもずっと多くなっていました。
去年ここでお会いした方々の姿を見つけて、少し話しました。
文学碑のあかりは、船と岩と魚のうろこを表したもので、塩谷にふさわしく、
漁の網も飾ったと教えていただきました。

伊藤整作詞の塩谷小学校校歌を印刷したシートが、入場記念品として
一枚一枚きれいにラミネートされて文学碑の前に置かれていました。

前日の開会式では、地元の子どもたちがここで校歌を歌い、伊藤整の詩の
朗読があるとお聞きしたのですが、早くから決めていた日程が変更できず残念でした。



「周辺を散策できるスケールの大きなコースも作りました」と、塩谷のかもめさんが
コメントで書いてくださったコースも楽しみでした。
あかりがともり始めた散策コースに入り、あたりが暗くなるにつれてだんだん変わっていく
あかりの光景を楽しむことにしました。

 


 
「雪あかりの路」の名前の元になった伊藤整の詩集『雪明りの路』。
その伊藤整が若い詩人の時代を送ったふるさと塩谷。
塩谷は、雪あかりの路の原点と言えると思います。

文学碑のあかりは造形に凝って奇をてらったものではなくて、
この塩谷だからこそというものでした。
散策コースは、林の中にただ点々と素朴なあかりを配置したのではなくて、
よく考えられたコースにひとつひとつ丁寧に作り上げられたあかりが
ともっていたのでした。

2日間のあかりに塩谷の皆さんの誇りと心意気がこめられていて、それが
旅行者の私に大きな感動を与えてくれたのだと思います。
 

          ☆
 

散策コースを歩いていた時、私を探し当てて下さった方がいました。
地元の竹田保弘さんでした。

塩谷中の先代の杉山校長先生を通じたご縁で、竹田さんには、一昨年
『ゴロダの丘-文学碑に関する資料集-』を送っていだだきましたが、直接お会いするのは
この時が初めてでした。

そして、なんと、竹田さんが手書きでまとめられた
『旧小樽市中学校創立期の人びととその周辺』をいただきました。


小樽市中学校の大正14年の『当直通知簿』の写しも収録されています。
そこに伊藤整の名前をみつけて発表されたのが竹田さんです。

文学碑広場でたき火にあたりながら、竹田さんからお話をお聞きしました。

私からは、若き日の伊藤整と北見恂吉がこの丘に寝転んで文学を語り合ったという話を、
以前、最上町の喫茶店で聞いたことなどをお話しました。

          ☆

その後、文学碑広場のあずまやで、今回も地元の皆さんと楽しい時間を過ごすことができました。
今日の記念にと、文学碑のあかりのデザインのイラストもいただきました。

翌日の午前中に、皆さんが後片付けに集まるということを耳にして、その時にまた来てみようと思いながら、いったん迎浜館に戻りました。

 
夕食は、去年教えていただいた輝楽飯店でした。
迎浜館の上の国道の交差点から輝楽飯店までは、1kmほどです。
ホテルから歩くのは初めてでしたが、無事往復できました。


          ☆

翌2月7日、


道新の朝刊題字下の天気予報には、
「冬型の気圧配置に戻る。日本海側は雪でふぶく所も。」と書いてありました。
窓の外の塩谷の海に雪が降り続いています。
 
 
 
もう一度ゴロダの丘に登って、その後、塩谷中学校を訪ねました。


塩谷中から小樽環状線を歩いて戻って、ゴロダの丘歩道橋のあたりに来たころから吹雪になって、
国道の交差点から海岸のホテルに下りる坂道は、前も後ろも見えないくらいでした。
道新の天気予報が大当たりでした。
 
 

ホテルに戻って、塩谷海岸バス停から次の次のバスに乗ることにして、
ゆっくりコーヒーを飲みながら、twitter でちょっとつぶやきました。


すると、数分後に、
「@sfujino お疲れ様です。聞こえるのが天国の音楽じゃなくて良かったですね!」と
絶妙な返信が返ってきました。
 

          ☆
 



一昨年の小学校の会場から数えて3回目の塩谷雪あかりの路でした。
今年の美しい光景は長く私の記憶に残ることと思います。

塩谷の皆さん、今年もありがとうございました。
またいつか、機会をつくってお伺いします。

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2011-02-12 (土曜日)

塩谷のあかり~点火のころ

思わず、「きれいですね、こんな美しい雪あかり見たことないです」
と声をかけてしまったくらい ―― と、地元小樽の webmistress さんも
コメントで書いてくださったほど、塩谷のあかりは感動的でした!

少し時間をとって、当日の光景を思い浮かべながら、画像を選んで
ゆっくり書きたいと思っています。

とりあえず今日は、点火のころにケータイで写した画像です。

やがてこのあかりが、眼を見張り息をのむほど美しくなっていったのでした。

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2010-02-21 (日曜日)

塩谷日記 雪あかりの路


小樽雪あかりの路塩谷会場を訪ねました。
2010年2月7日、8日の塩谷日記です。

 

2月7日正午少し前にJR小樽駅に着いて、昼食の後、2時過ぎに本局前バス停から塩谷に向かいました。



今回は北ホテル(小樽迎浜館)に1泊します。
雪あかりの路塩谷会場の日程は、昨年12月に小樽を訪ねた頃には発表されていましたので、
その時に電話で予約を済ませていました。


ホテルに荷物を置いて、国道を渡ってゴロダの丘に登りました。
伊藤整文学碑前にあかりがともるのは、前日の土曜日とこの日の2日間だけの日程でした。


土曜日は午後から物凄い吹雪になって、海から直接ゴロダの丘に風が吹き付けて、
風上に向かうと息ができないくらいだったそうです。
そのため、雪あかりの準備は不十分な状態で中途で終了せざるをえなくなった、と
塩谷中の校長先生からメールでお聞きしていました。


ところが、ゴロダの丘に登ると、もう文学碑前に会場ができあがっていて、
地元の方々が点火の準備をされていました。

短い時間でこれだけ見事に作りあげるのは大変だったと思います。
文学碑前のアイスキャンドルは塩谷川の水を何度も汲んで作った、と教えていただきました。
 


点火が進むと、文学碑前で写真を撮ろうということになって、私も入れていただきました。
いい記念になりました。

     ☆

あずまやの前でたき火で暖をとりながら、地元の方々といろいろお話ができました。
その中のお一人が私の夕食のタイミングを心配されて、「食事ができるところが少ないから」と、
車で送りましょうと言ってくださいました。

もう少し文学碑前のあかりを楽しんでからでもいいかな、とも思ったのですが
ご好意に甘えることにしました。


途中、塩谷小学校に寄っていただきました。
塩谷小は、昨年2月、私が初めて塩谷の雪あかりを見に来た会場です。

こども達も加わって、ちょうど点火が始まったところでした。


この先に蕎麦屋もあるけれど、そこ(両国)はかなり遠いからと、輝楽飯店に連れていって
いただきました。
夕方の営業時間まで少し時間があったので、その間に近くを歩いてみることにしました。


高橋医院前の池に浮き玉キャンドルがありました。
こうしてあかりを訪ねながら、2月の塩谷を歩く気分は格別でした。


食事が済んで、もう一度塩谷小に行ってみようと国道から左に入って歩いていると、
後ろから車が来て「乗りませんか」と言われました。
先ほど文学碑前で会った地元の方でした。

塩谷小に着くと、もうあかりはおしまいで、先生が撤収の作業をしていました。
そうか。塩谷小が早めに終わるので、食事の前に連れてきてくれたのか、と
気がつきました。

再びゴロダの丘に戻りました。


2010年2月7日、雪明りとキャンドルのあかりに浮かぶ塩谷の伊藤整文学碑です。


たき火を囲んで、温かい飲み物も頂きながら、皆さんと楽しく過ごしました。
私の住む松戸で昔仕事をされたことのある方や、こちらに知り合いがいるという方とも
お話できました。

しばらくして、実行委員会の役員の方々や新旧のPTAの役員さんのスピーチをお聞き
したところで、ゴロダの丘を離れました。


ホテルへの帰路、ゴロダの丘から国道に下りるスロープにもあかりがともっていて、
足元を照らしてくれました。

いい夜でした。

     ☆

2日8日。


ホテルの部屋と2階のバーから眺めた塩谷の海です。

前夜、「波の音で眠れないかもしれませんよ」とホテルの人が言ってくれましたが、
ぐっすり眠れました。
ロビーにはテレビの火曜サスペンス『北ホテル』の台本や出演者たちの色紙もありました。


小樽駅前行きのバスの時間を確認し、ホテルに荷物を置いて、塩谷中学校に向かいました。


この日の塩谷の海と、国道の向こう、歩いてゴロダの丘に登る道の様子です


去年9月、伍助沢を歩きましたが、今度は道道956号小樽環状線を国道側から歩いて、
塩谷中に校長先生と教頭先生をお訪ねしました。


塩谷中の校長先生は、去年2月、塩谷小の雪あかりの路会場で私に声をかけてくださった方です。
今回、地元の実行委員会の皆さんに私を紹介してくださったのも塩谷中の校長先生でした。
この日はそのお礼と塩谷を離れるご挨拶ができました。前夜お世話になった教頭先生にも
会えました。



塩谷中から戻って、今度は歩道橋を渡ってゴロダの丘へ。



前夜ここで会った方々が撤収の作業をされていました。
文学碑の前も片付けが済んでいて、碑の文字に触れることができました。

    ☆

先日、塩谷雪あかりの路実行委員会委員長の高橋昭三さんが、コメントで、
『「地域の高齢化が進む中、子ども達を主役に住民同士が連帯感を持ちたい。そして 
見た目の明るさではない。心の明るさ、温かさを感じる雪あかりにしたい」との願いを込め ...』
と書いてくださいました。

塩谷のあかりはその願いのとおりの温かく美しいものでした。
塩谷の皆さん、どうもありがとうございました。

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2010-02-07 (日曜日)

今夜の宿は北ホテル

小樽雪あかりの路最初の日曜日、
今日は運河も手宮線もにぎやかだったことでしょうね。

私は今、塩谷の北ホテルです。
昼間、小樽文学館に寄って、詩集を一冊買ってきました。


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2010-02-07 (日曜日)

小樽雪あかりの路塩谷会場

伊藤整文学碑前に、あかりがともりました。


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2009-12-17 (木曜日)

語らずとも 心に小樽

『ゴロダの丘-文学碑に関する資料集-』の竹田保弘先生に資料のお礼の
手紙を差し上げたら、先生から直接ご返信をいただきました。

これから郵便局に行って差し出します、と書かれていて、封筒には
塩谷郵便局の風景印がありました。風景印には伊藤整文学碑が描かれて
いて、ぶどうの絵や塩谷の浜や、塩谷丸山でしょうか、文学碑を囲むように
載っていました。

竹田先生がまとめられた小樽雪あかりの路のイベントの資料もありました。
願う会の講演会レジュメにも『ゴロダの丘』の資料にも引用されていた、あの
「人生は深き縁の不思議な出会いだ」の言葉とともに、「2月の雪あかりの路
塩谷会場での杉山校長との出会いが... 不思議なご縁だったのですね。」と
書いてくださいました。

先日 google の検索でみつけた asahi.com マイタウンの実際の記事の
コピーもいただきました。
朝日新聞(道内版)は11月13日付、道新(小樽後志版)は11月23日付でした。

たくさんの資料の中に、道新の「ざっくばらん」に載った伊藤整の二男、礼さん
の記事がありました。

父伊藤整について語ったその記事の見出しは、「語らずとも 心に小樽」でした。

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2009-12-16 (水曜日)

竹田保弘先生の『ゴロダの丘-文学碑に関する資料集-』

講演会資料に続いて、12月5日に、塩谷中の校長先生から
『ゴロダの丘-文学碑に関する資料集-』が届きました。
講演会の講師をされた塩谷の竹田保弘先生が今年11月15日に
発行されたものでした。



資料集はA3版30ページ以上にわたる膨大なもので、全部読みきれないままでは
失礼と思いましたが、とりあえずお礼を兼ねて少し書いてみます。


資料の中には、伊藤整自身が文学碑のために書いた最初の原稿や、碑の
デザインの希望を伝えた手紙も収録されていました。また、文学碑完成の
時の様子や、現在の場所に移設された時の新聞記事も読むことができました。

今、竹田先生がお住まいの場所は、かつて伊藤整の父昌整が自分たち
家族が住む計画で買い求めた土地だったことも書かれていて、
『「人生は深き縁の不思議な出合いだ」(坂村真民)』と書き添えられていました。

     ☆

資料が届いた日に、google で「塩谷 竹田保弘さん」と検索したら、
2つみつかりました。(その後、現在はこのブログも出てきます。)

そのうちのひとつは、小樽市のホームページでした。
  おたる文学散歩 第1話 伍助沢分教場跡(伊藤整)

今年9月8日、道道956号小樽環状線を歩いて塩谷中学校を訪ねた途中で
みつけた、あの「塩谷小学校伍助沢分教場跡」の標柱を再建されたのが、
竹田先生でした。

検索でヒットしたもうひとつの記事は、asahi.com マイタイウン北海道の
『丘の碑、作家と友の記憶』でした。

今は asahi.com のサイトにその記事はありませんが、google のキャッシュを
開いたら、まさに、この資料集の発行を伝える記事でした。
そして、発行日の今年11月15日は、伊藤整没後40年の命日なのでした。

     ☆

竹田先生に資料集のお礼と少し自己紹介の手紙をお送りしたところ、
一昨日、ひと足早いクリスマスプレゼントのような嬉しいお返事を
いただきました。竹田先生、どうもありがとうございました。

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2009-12-09 (水曜日)

塩谷の講演会資料をいただきました

今年9月、小樽市立塩谷中学校の校長先生にお会いした時に、
近く伊藤整に関する講演会が開催されますから、あとで資料を送りましょう、と
言ってくださいました。

私が千葉に戻って間もなく、講演会の資料が届きました。



校長先生のお手紙とレジュメによると、平成21年度塩谷地区『子どものすこやか
な成長を願う会』の講演会で、講師は竹田保弘さん。演題は「伊藤整とその周辺
の人々」でした。
当日は主に伊藤整の父母についてのお話があり、貴重な資料も展示されたそうです。

いただいた資料は、伊藤整・小林多喜二・石川啄木の三人とそれぞれの父母の
年譜が対比して読める素晴らしいものでした。

 
年譜を読み比べると、こんなことがわかりました。

幌内鉄道手宮ー札幌間が開通したのが明治10年。*1 *2 それから十年目の明治19年、
北海道庁が設置された年に石川啄木が生まれ、小林多喜二の両親が結婚。
その二年後の明治21年には伊藤整の父伊藤昌整が満16歳で小学校尋常科教員の
資格をとっています。

小樽運河が完成した翌年の大正13年に、小林多喜二は小樽高商を卒業し拓銀に就職。
約半年後に、「運命的出会い」とノーマ・フィールドさんが書いた田口瀧子(タキ)と
出会いました。田口タキは2年後の大正15年に小樽を去ります。

伊藤整の詩集『雪明りの路』が刊行されたのは、その大正15年12月のことでした。


資料の伊藤整のらんを見ると、
伊藤整の父伊藤昌整は、明治34年の白神尋常小学校代用教員を経て、明治39年の
ところに「伍助沢簡易教育所」の記述がありました。これが塩谷小学校伍助沢分教場の
前身でしょうか。

それより前には、伊藤昌整が北海道の地を踏む前の明治24年12月、「教員をやめ
千葉県国府台の陸軍教導団へ」とありました。

     ☆

国府台(こうのだい)は現在の市川市で、私のところの隣りの市です。国立国府台病院が
あって、私が小学校一年の夏、バスに乗って診察を受けに行った記憶があります。
伊藤整の父親の足跡が近くにあったことを今回の年譜で初めて知りました。
その後ネットで調べたら、国立国府台病院の場所が陸軍教導団があった場所なのでした。

     ☆

レジュメのご経歴を読むと、講師の竹田保弘さんは、忍路中・末広中・長橋中で
教員生活をされたとのことですので、竹田先生のお教えを受けた方が小樽市内に
たくさんいらっしゃることと思います。


先週土曜日に再び、竹田先生がまとめられた大変貴重な資料をいただきました。
もう少し読み進めてから書いてみたいと思います。

*1 講演会資料の明治10年のらんに「11.28幌内鉄道手宮ー札幌間開始」と書かれています。

*2 その後、講演会を主催された塩谷地区『子どものすこやかな成長を願う会』事務局から、誤植です、と
  コメントでご連絡をいただきました。

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2009-10-23 (金曜日)

再びゴロダの丘へ



9月8日、伊藤整文学碑から塩谷の海を眺めました。
初めてここに来た時から3年。
懐かしい光景でした。

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2009-10-14 (水曜日)

丸山に朝日さすとき 友さそい小川のほとり



「塩谷小の校歌は伊藤整が作詞したんですよ。5番まである校歌は珍しいと
思います。
体育館に掲示してありますから、これから行ってみましょうか。」 と、
塩谷中の校長先生が車で連れてきてくださいました。

  (画像)小樽市立塩谷小学校校歌 です。

『作詞 伊藤整』の文字は特に目立つ大きさでもなくて、そこに書かれている
ことが自然で当然の光景のように見えました。

ああ、ここは塩谷なのだ、伊藤整は塩谷の人なのだとあらためて思いが至って、
少し胸がつまりました。

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2009-10-02 (金曜日)

小樽環状線を行く (2) 伍助沢分教場跡

右側の歩道を快適に歩いていて、反対側の道路脇に立っていたこの標柱を
あわや見逃してしまうところでした。

こちら側からも「伊藤整」「坂西志保」の文字が見えました。


  塩谷小学校伍助沢分教場跡の標柱でした。 気がついてよかった!

 
今年8月、hkotswさんが from OTARU に、『人名が付いてる沢』 のタイトルで、
「朝里の文治沢がありますが、塩谷には伍助沢と寅吉沢があります」 と
書き込んでくれました。(from OTARU No.1764

私が「伍助沢」の地名を聞いたのはその時が初めてでした。

ネットで「伍助沢」を検索して、リンクをたどると、伊藤整の父が教え、
坂西志保が学んだのが伍助沢分教場だったことを知りました。

     ☆

8月10日、すてきな空間・すてきな時間: 石山町を歩く のコメントで、hhkotsw さんから
「ちなみに、伍助沢は天狗山から入った方が近いので、徒歩はかなりきついかも
知れませんよ」
と教えていただいた時は、黙ってるのが大変でした。(^^;)


実は、6月の小樽滞在の後で、次の機会には是非塩谷を訪ねたいと考えていました。


前に伊藤整文学碑を見に行った時は、往復ともバスでした。それで、今度は環状線を歩いて
行ってみよう... ストリートビューを見てみたら、両側にずっと歩道があって歩きやすいし...
当日天気が良かったら歩こう.... と、コースを考えたのが8月初めだったのです。

     ☆

先日、伊藤整に関する素晴らしい資料をいただきましたので、分教場のことは、あとで
もう一度触れる機会があります。

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2009-02-14 (土曜日)

塩谷の雪あかり



小樽雪あかりの路「伊藤整ゆかりの地・塩谷会場」へ行きました。
いやぁ~、楽しかったです!!
あとでゆっくり続きを書きます。


(2009.2.16 追記)
今回、小樽雪あかりの路へ出かける前から、一番楽しみにしていたのが
塩谷会場でした。

一度見てみたいと思っていた伊藤整文学碑を私が初めて訪ねたのが2006年の
11月のことでした。その時、いつかこの文学碑のまわりにあかりがともる時
が来るかな、と想像していました。

ですから、小樽に着いて、市の観光振興室に電話して塩谷会場の場所が
ゴロダの丘の文学碑前ではないことを聞いた時は、実は、少し残念な
思いがしました。


2月14日の夕方5時少し前、塩谷小学校に着きました。すると、なんと、
雪あかり会場に伊藤整文学碑が出現しているではありませんか!

小樽雪あかりの路は、私にとっても今年で11回めになりますが、
ああ、今年も来てよかったと感激でした!


会場のたくさんのキャンドルに地元の皆さんが火をつけ始めました。
あかりがもう少し増えたら写真を撮ろうと待っていると、「よかったら
あなたも少しつけてみませんか」とチャッカマンを渡してくれました。
斜面に上って大きなハートの輪のように並んだスノーキャンドルに火を
つけていきました。

私が小樽に着いた木曜日からずっと暖かい日が続いていて、前日の夜は
ずっと雨が降っていました。この日14日の夕方も湿った雪が降り続き、
風も強くて、つけた火が長くもたず、ところどころ消えてしまいます。
すると、会場の誰かが文学碑の前を指差して、あっちみたいに雪玉で
風をよければいいと提案しました。

それで、また斜面を登って、スノーキャンドルの中のろうそくの位置をチェック
して、チャッカマンの先が入るくらいに雪玉をくっつけて、あとでそのすき間を
ふさぐための雪玉を作って足元に用意しておいて、火がついたら急いで残りの
雪玉をくっつける...。 懐かしかった!

2004年の第6回の時に、2日間だけでしたが、私は手宮線会場でボランティア
に参加しました。その時も雪と風が強く、自分の担当のエリアを見回って、消えて
いるろうそくに火をつけていくのが私の役割でした。一度消えてずっとほうって
おいたろうそくは、バーナーを使ってもなかなかつきません。やっと火がついて
その隣りのろうそくにとりかかると、今つけたばかりの火がもう消えています。
泣きたい思いでもう一度戻って、今度はろうそくの位置をもっと奥に移したり、
まわりをガードする工夫をして、ひとつ終わり... 。

その時の手の感覚が、突然、はっきりともどってきました。

そんな感激を感じながら斜面を下りると、私に声をかけてくださった方がいま
した。その方は、塩谷中学校の校長先生でした。
雪あかりの準備のこと、私の住む松戸のことなどをお話することができました。

楽しみにしていた塩谷会場の雪あかりを見ることができただけではなくて、
少しだけあかりに参加できたり、素晴らしい出会いがありました。

雪あかりのキャンドルの美しい光景の記憶はやがて少しづつ薄れていって、
パソコンに保存した画像でたどることになるかもしれません。でも、こうした
ほんのわずかな時間の出来事や出会いの記憶は、ずっと薄れることはありません。
私の今までの11年を振りかえって、本当にそう思います。

   ☆


スノーキャンドルの斜面と、文学碑の前の私です。文学碑のほうは、
塩谷中の杉山校長先生がメールで送ってくださいました。
(大きな画像をいただきましたが、恥ずかしいので縮小しました。)

上の最初の画像はケータイで写して送信したものですが、デジカメの画像も
追加します。(クリックすると大きな画像が開きます。
大きな画像の上でもう一度クリックすると元にもどります。)





     ☆

塩谷中の杉山校長先生にメールで画像のお礼をお伝えしたら、再びメールを
いただきました。
今日、塩谷中の朝会で、私との出会いのことを話してくださったそうです!

塩谷の皆さん、杉山先生、本当にありがとうございました。

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2009-02-13 (金曜日)

カネサ珈琲の生キャラメル

最上のカネサ珈琲に来ています。
マスターの佐藤さんの会心作、生キャラメルをいただきました。

ここでゆっくりして、初音橋へ向います。

(2009.3.5 追記)
「花畑牧場に負けてないです」とマスターが言っていた生キャラメル、
まさに絶品でした!!

     ☆

二日目のこの日は、雪あかりの赤岩会場に行ってみたいと考えていました。

1月末にネットで見つけたガイドマップでは、赤岩会場はかもめが丘公園の
ように見えました。地図を調べたら高島小学校の隣でした。以前、マリー・
ローランサンまでバスで行ったことがあります。高島小学校の近くの寿司やさん
に志づかにもゴジラさんやほりべいさんたちと一度に行ったことがありますので、
大体見当がつきそうでした。

「でも、高島小学校は高島だから(赤岩ではないから)、赤岩会場というのは
別の場所かもしれない」と言ってくれた人もいました。

カウンターでそんな話をしたら、マスターの佐藤さんが、
「に志づかに電話して聞いてあげるよ」と言ってくれました。それで、
赤岩会場は赤岩会館だとわかりました。

「バスで行くにはどこから乗ればいいですか」と聞いたら、
マスターの奥さんが「典礼わかりますか?」

わかんないですよ~。観光客ですから ... と言いたいところですが、
知ってるんです。 (^o^)
(中央市場近くの蕎麦やさんに行く時に、何度か歩いていますので。)
自然にそう聞いてくれたのが嬉しかったです。

おかげで、この日の夜、計画どおり赤岩会場を訪ねることができました。

※あとで公式ガイドマップ(印刷物)をよく見たら、「あかりの路会場赤岩町会」
の矢印の先が、他の会場と違って、かもめが丘公園と少し離れていました。
印刷締め切りの時には場所が確定していなかったのかもしれません。

    ☆

カネサ珈琲の前には、雪で屋号の [┐]に [サ] が作ってありました。
缶を上手に切り抜いたあかりもありました。
 

 まだ時間が早かったのですが、マスターがつけて見せてくれました。

    ☆

店の中に戻って「明日は塩谷会場へ行きます。前に伊藤整の文学碑を
見に行ったことがあるんですよ」と話していたら、カウンターの女の方が、
こんな話をしてくれました。

 昔、きたみ・じゅんきちさんという人とよく話しをしたことがあって――、
きたみさんは余市の人で、伊藤整は塩谷で、学年も違ったけど、
小樽の学校に通う汽車で一緒だったので二人は友達になって、そして、
伊藤整と塩谷の丘に寝転んでよく文学の話をしたものだと、話していた。

それが、今文学碑が建っているゴロダの丘なんですよ、と。

雪あかりの路の頃、喫茶店のカウンターで自然にこんな話題が出てくる。
それが小樽なのだと思いました。

こちらに戻って伊藤整文学碑の画像を見たら「北見恂吉」の名前が刻まれていました。

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2006-12-17 (日曜日)

塩谷の伊藤整文学碑へ



一度見てみたいと思っていた伊藤整文学碑の前に立つことができました。

 


中学生の頃、学年雑誌の読書案内に『若い詩人の肖像』が載っていました。
十四、五歳の私は、その作家が小樽という街にゆかりの人であることも、
最初の詩集の名前も知りませんでした。

それから数十年後。 私は何度か小樽の街を訪ねるようになって、
そして、塩谷のこの碑の前にやって来ました。 思えば、不思議です。

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