No. 2510
おたるだより 〜おまけ〜
from: hkotsw
2017-05-26 19:52

明治4年の地図の一部です。

手宮富士が原型のままで、色内小学校から港方面にかけて
(楕円の赤丸)川が幾筋にも別れていて、湿地帯だったと
推測できます。

後に、砂防提を作って色内川を真っ直ぐに引き直すのですが
その砂防提があった名残が、現在の砂留踏切という呼び名です。

最後に、上流の赤丸は「三つ目観音」の少し下流にある
河川の合流点です。
地図からもお分かりの様に旧国道5号線は、谷筋に川が流れる
湿地帯だった(鯉の養殖場などあった)ので、水はけのよい
高地に塩谷街道を設けた理由も証明できるかと(^^ゞ

余談ですが、来月〇陽のイベントがあるので、準備に
やや忙しくなるので、こちらも期間が開いてしまうかと・・・

それでは おやすみなさい。