2011/12/30 (金曜日)

言い訳です。

年の瀬の忙しい時に、ひとの体調の話を聞かされるのは迷惑なことと思いますが、 今年はあまりブログの更新ができなかった言い訳を書きます。 時間がとれた時にでも、ざっと読み捨ててください。 今年5月13日、突然、右足の足首から先が動かなくなってしまいました。
  整形外科でレントゲンとMRIを撮ったら、椎間板ヘルニアが神経を圧迫しているとの診断でした。 痛みやその他の症状からは、緊急手術の必要はないけれど、長くかかるということでした。 「スリッパが脱げちゃうでしょ」と、医師は笑いながら言ってましたが、足首から先が動かせなくなって、 歩くのが大変でした。 つま先が上がらないので、右足は地面に平行にすり足のように引きずって歩くしかありません。 そうすると、ちょっとした地面のでこぼこや段差でつまずくので、膝頭から足を持ち上げるように意識して、 足の裏全体で着地するしかありませんでした。 台の上に横になって腰椎を牽引する保存療法で治療ということになって、それから毎日ずっと(日曜以外) 病院に通いました。 「長くなりますよ」と最初に言われましたが、どのくらいかかるのか聞いて、もし、半年や1年と 言われたらと思うと、聞いてみる勇気がありませんでした。 仕事に出た日は夕方職場からタクシーで、オフの日は自宅から通いました。 治療の帰りも、近くの私鉄の駅までの5、6分の距離を歩くのがつらくて、初めのうちは車を使っていました。 行き帰りとも電車で通うようになったのは5月末のことでした。 最初のうちは治療の効果が全然なくて、このまま続けて治るのだろうかと不安な日々でした。 外を歩いていると、それまでは別に気にとめなかったことですが、杖をついて歩いてる人の様子が気になるようになりました。 もしこのまま治らなくて自分も杖を使うようになったら、あんなのじゃなくて、違う形のがいいな、なんて思うこともありました。 それより、もし左足も動かなくなったらという恐怖感が続きました。 1か月過ぎた6月17日ごろから、ようやく足首から先が上がるようになりました。 まだ指が思うように動かない状態でしたが、やっと動いたという喜びがありました。 ところが、それまで足の裏全体で着地する歩き方のせいで、捻挫のような痛みが続いていました。 それも毎日湿布を続けて、段々よくなっていきました。 牽引の治療は、日曜日とお盆を除いた毎日、8月末までの約3か月半続きました。 3月の地震の後のいつもと違う春、新緑の季節を楽しめるはずの頃の体の不調、その後の猛暑。 気が滅入る日々がずっと続きましたが、ネットでいろいろなサイトを眺めたり、twitter でつぶやくことで、 辛うじて気持ちのバランスを保つことができたように思います。  その頃の私のつぶやきです。
40日ぶりぐらいでやっと散髪に行って、いま西友の喫茶コーナー、サントス。BGMはMISIA:Everything。懐かしく、しみじみ。 (6月26日 17:20) 夕方、仕事が終わってタクシーを飛ばして大事な用事を済ませて、帰りは駅まで歩いて電車で帰宅。目に入った9人のうち4人がスマートフォンらしかった。自分は... まだいいかな。4人とも自分よりずっと若そうだったから www (7月5日 20:17) いま五香の喫茶店コロラド。これから常盤平駅前まで歩いて、喫茶店のハシゴ... は、まだ無理かな。暑いし。(7月14日 16:44) パラパラ雨が降ってきて、蒸し暑くなった。でも、25分歩けたぜ!(^o^)v 今、西友のサントス。熱いコーヒーが旨いっ! (7月18日 17:39) 正月のおみくじは大吉だったのに、今年は身の回りのものが次々と壊れた。冷蔵庫もエアコンも電話機も温度計も私の体も。幸い、全部解決。 :-) (7月28日 18:49)
3月の地震のあとも、このブログは毎日更新していました。 不安な毎日でしたが、こんな時だからこそ続けたいという思いもあって、今年2月の小樽のことを振り返りながら 書き続けました。 それも一段落して、3月27日にスナップ集を載せ、3月28日に「やがて、花園橋の春」を書きました。 実は、2月に小樽の花園橋であの写真を撮った時に、もしかしたら5月にまたここに来て、 「花園橋の春」のタイトルで書けるかなとひそかに考えていました。 地震のあとで旅行をするのは難しいことでしたので、地震のことを3つ書こうと、記事の順番とタイトルまで 決めていました。十和田湖へのサイクリングは、私が自慢できる数少ないことですので、 今までも書かないでとっておいたのですが、地震のあった今年に書くことにしました。 でも、サイクリングのルートを地図に落とすのが難しかったり、当時の私の文と写真を探すのに手間取って、 ひとつも書けないうちに、体調を崩してしまいました。 一昨年の小樽の龍宮神社、昨年の水天宮に続いて、今年は7月14日に住吉神社を訪ねて小樽三大祭り完結 の計画でしたが、その頃はまだ体調が完全に戻らず、あきらめました。 それで、7月末の潮まつりに行こうと思ったのですが、なかなか決心がつかず、直前になって ホテルの予約をとろうとした時にはもう無理でした。 (いつものフロアの、運河側の部屋の3泊がダメでした。下の階のシングルか、山側の和室なら と言っていただいたのですが、こんなことがあった後ですから、今までと同じように過ごしたい という特別な思いがありました。) 足の具合は無事回復しましたが、その後も、スーパーの景品で大きなペットボトルの水をもらったり、 2kgのお米を買って帰るのが重く感じることが続いていました。 心理的な後遺症なのか、それとも体力が落ちたのかな... 昔は自転車で東北まで行って、 途中で一昼夜走り続けて帰って来る体力があったのに...。 重い旅行カバンをかついで 雪の道を歩くのはまだ無理かな... と思ったこともありました。     ☆ ずっと書きたいと思っていた3つの記事を、昨日やっと書くことができました。 今年はつらい年になってしまいましたが、それも、もうあと1日です。 来年はいい年になるといいなと思っています。
s.fujino : 2011年12月30日 22:05 / private

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コメント

 

僕も以前ヘルニアで40日間牽引しましたが、今でも右足の甲が正座したあとのように
軽く痺れが残っています。

麻痺まではいきませんでしたけど、立って歩けなくなった自分に不安を感じながらの
数週間でしたが、次第に痛みが和らいでいく感覚に自分を励まし続けていました。

心理的な後遺症は小樽に行けば消えると思いますよ。
医者から14kg以上の物を持つなと言われても、気力で20kgの荷物を持って
毎日働いていますので、s.fujinoさんも気持ちに負けないで下さいね。

荷物は先に常宿へ送る方法もありますし(笑)

今年もどうぞよろしくお願いします

投稿者 hkotsw : 2012年1月 1日 12:35

 

hkotsw さん、どうもありがとうございます。
ヘルニアはhkotsw さんが先輩だったんですね。

去年はつらい日が続いていました。

何キロまでと指示はもらえませんでしたが、2kgのペットボトルやお米を持って歩くのが
怖く感じでいました。
大晦日の日記にも書きましたが、ビルの9階まで階段で上り下りしたり、買い物袋を下げて
特に意識しないで帰宅しちゃいましたので、やっぱり心理的なものもあったのかもしれません。

旅行の荷物を先に送る、というのは思いつきませんでした。

これからはもうキャリーケース使うしかないか、とさびしい思いでしたが、
あれをゴロゴロ引きずって小樽の街を歩くのは、イヤです。(^o^)
やっぱり、今までのようにショルダーにこだわりたくて。

でも、小樽に滞在して昼間街を歩く時は、ポケットにケータイとデジカメとサイフぐらい
入れてるだけですので、先に送っておけばいいですね。

今年はお互いにいい年にしましょう! どうぞよろしくお願いいたします。

投稿者 s.fujino : 2012年1月 1日 15:50


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