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2011年2月10日の記事

2011年2月10日

消えた石碑

一昨日、梅ヶ枝町の野藤坂の石碑のことを小樽からケータイで送信しましたが、
もう少し詳しく書きます。


手宮公園の桜が見事に復活した 2006年5月、地元の fisherman さんのお宅に
お招きいただきました。前にも載せましたが、その時の画像です。
 

私が写っていて恥ずかしいですが、
石碑の大きさがわかると思います。

 
今回私が小樽に向かう直前の2月2日、このブログのゲストブックに
一通のメッセージをいただきました。

野藤秀史(のとうひでふみ)と申します

2006年5月のblogが検索で引っかかりましてお邪魔しております

 

祖父の名前が付いた坂(野藤坂)ですが

幼少の頃に交番と石碑の横で撮った写真が実家に残っているようです

 

自分もいい年齢になってきますとルーツも気になりまして

しっかり見ておきたいと考えるようになりました

 

実家(野藤常太郎の息子=私の父)は札幌ですが

今年の帰省では小樽に足を伸ばし野藤坂に行こうと思います

     (ゲストブックのリンクは、メインページ左下にあります。)

 
 
一昨日(2月8日)、野藤坂を訪ねました。


雪の中に建つ石碑を写して、ご子孫にも見ていただこうと思ったのですが、
石碑は消えていました。

坂の途中に移設されたのかと思って上まで行ってみましたが、みつかりませんでした。
下に戻って、通りかかった地元の方お二人に尋ねてみましたが、やはり、
石碑がどうなったか、わかりませんでした。

このことを野藤さんにお知らせしたほうがいいのか悩みましたが、
次の帰省の時に寂しい思いをされてもと考えて、昨日、小樽からの帰路、
新千歳空港の待ち時間にメールをお送りしました。

もしかしたら、石碑を別のどこかに保存することになった時に、
札幌のご実家には挨拶があって、まだお孫さんに伝わっていない
のかもしれませんが、私も消息を知りたいと思います。

野藤坂の石碑は Google マップのストリートビュー にも写っています。
札幌・小樽・函館エリアがストリートビューに入ったのは 2008年ごろ
だったでしょうか。

石碑が消えたのは最近のことなのかもしれません。

※小樽市のサイトへのリンクです。
 おたる坂まち散歩 第44話 野藤坂 梅ヶ枝町界わいの今と昔
 

記事の続きです(2011-02-11)

今日、塩谷の大竹秀文さんからメールをいただきました。

地元梅ヶ枝町の方に問い合わせたところ、「野藤坂」の石碑は、
 ・2010年の夏には、元の場所近くの家の敷地内に置かれていた。
 ・2010年の秋ごろ、トラックで搬出された。
とのことです。石碑が野藤坂を離れた時期がわかりました。

大竹さんは調査を続けてくださるとのことですので、今後のお知らせを
お待ちしたいと思います。

(大竹秀文さんが調べてくださった経緯は、
「雪あかりの塩谷から、最上町→梅ヶ枝町へつながりました」のところに書きました。)

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