2006/09/23 (土曜日)
夏の総集編、わすれもの
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コメント
あれれ 忘れ物ですか?(笑)
最後まで とって置いたのではないのでしょうか?
今日も 運河は賑わっておりましたよ!
132歳の 市内バスの旅 とても楽しかったです。
投稿者 132歳の若者 : 2006年9月23日 19:29
>最後まで とって置いたのではないのでしょうか?
あはは。 バレましたか。 やっぱり。 (^o^)
投稿者 s.fujino : 2006年9月23日 20:03
運河周辺はこうしてみると きれいですね。
こうやって見るとまたいいものです。
学校帰りよく行っていたのは、叫児楼です。
高校を卒業しないといけないお店、18歳未満お断りでしたから・・・
その頃から叫児楼さんとのお付き合いが始まり、小泉さんともそうです。
成人式のお祝いに 叫児楼さんと小泉さんに友達と私の成人を祝って
飲みに連れて行ってもらったことを覚えています。
投稿者 yagiakemi : 2006年9月23日 23:44
yagiakemi さん、こんばんは。
>運河周辺はこうしてみると きれいですね。
何度撮っても、最初の年に中央橋から写した1枚以上に気に入った写真が
写せませんが、季節ごとの表情が、いいものですね。
>学校帰りよく行っていたのは、叫児楼です。
そうでしたか。いい記憶がたくさんあるんですね!
私は、叫児楼はまだ一度も入ったことがなくて…。
それで、画像も1枚だけ、2000年2月、雪あかりの路の2年めに
写したものです。
向かいの茶房の窓越しの画像です。右はしに写っているのが
叫児楼でしょうか?
"時代屋"叫児楼から、いったん "道具屋"叫児楼に変わった( …と
書かれていたのを読んだことがあります)少し前ですね。
いろいろ伝説を聞いていて、一見の観光客が入るのがためらわれるような
風格を感じました。
あ、それよりも... たしか、
このブログに132歳の若者さんからいただいた画像がありましたよ。 こちら です。
投稿者 s.fujino : 2006年9月24日 01:09
画像ありがとうございます。
向かいの喫茶店は十六夜?だったかな?
その前はケーキを食べられる喫茶店で、よく食べましたよ。
投稿者 yagiakemi : 2006年9月25日 22:40
そうそう、叫児楼さんは今、観光協会ではたらいでいます。
今の店は 二代目叫児楼です。
二代目になってからは 行ってないなあ。
小泉に行ってしまいます。
今でも叫児楼さんと仲良しですよ。
投稿者 yagiakemi : 2006年9月25日 22:42
今晩は、皆さん!
>その前はケーキを食べられる喫茶店で、よく食べましたよ。
お店の名は「アップル」かな?
132歳はコーヒー党なんだけど...。
この店に行った時には、ポット入りの紅茶をいただきました!
投稿者 132 歳の若者 : 2006年9月25日 23:05
こんばんは。
静屋通りには、みんなそれぞれ、いい記憶があるんですね。
上の写真を撮った店で、通りを眺めるのが好きでした。
アールグレイの紅茶もなかなかでしたよ。
その茶房が移転してからは、WHITE-HOUSE に行っていました。
和風きのこのスパゲッテイがかなりいけましたが、年に2、3度しか
行かないのに、ちゃんとランチのサービス券をくれて、それに、
コーヒーにミルクなしというのを覚えていてくれたのが感激でした。
WHITE-HOUSE は、桜町に移転してしまったそうですね。
あ、そうか! 平磯公園~桜3丁目 というコースもあったか!
でも、それは、歩いたら距離がありそうですから、
まずは小泉~米華堂 かな (^o^)
投稿者 s.fujino : 2006年9月26日 00:09
ホワイトハウスは専門学校時代に お昼を食べに行ってましたね。
今から20年以上前の話ですが・・・・
あの頃は味のある喫茶店がたくさんあって、入るのに迷うぐらいでしたが、
今はだいぶ減りましたね。
fujinoさんのブログに触れていると 昔のことを色々思い出して
懐かしいあったかい気持ちになります。
また、そのコースでいらっしゃる日をお待ちしています。
投稿者 yagiakemi : 2006年9月26日 14:05
>また、そのコースでいらっしゃる日をお待ちしています。
どうもありがとうございます!
>ホワイトハウスは専門学校時代に お昼を食べに行ってましたね。
>今から20年以上前の話ですが・・・・
るるぶを持った若い観光客で静屋通りが賑やかだった頃には、もう
あったんですね。知りませんでした。
ほんの数年前ですが、私も懐かしいです。
投稿者 s.fujino : 2006年9月27日 00:47
「My Clip」に 載せていただきありがとうございます。
このおいしさを こちらからお伝えいたします。
投稿者 しろぱんだ : 2006年9月27日 22:55
しろぱんださん、こんばんは。
いつも、おいしい画像を(うらやましく)見ていますよ (^o^)
暑い! 仕事場は、モチロン、クーラーが入りました (^_^;)
でも、カラットして、青空が気持ちよかったです。
金曜日は、また22、3度に戻りそうです。
投稿者 s.fujino : 2006年9月29日 01:24
今晩は、みなさん。
若者も食べたことありますよ、米華堂のケーキ。
甘さほどほどで 食べやすいです。
値段も お手頃...。
あの暑かった夏が ず~~っと昔のようですね。
涼しいを通り越して 寒ささえ感じます。
静屋通りいいですね、店は変わっても...。
投稿者 132歳の若者 : 2006年9月29日 21:46
皆さん来て下さっているのですね。
とっても嬉しいです。
毎日の楽しみといえば、お客様との会話・・・
顔がどの方かわからないけど、感想をこういう形で聞くというのも
嬉しいものです。
しろぱんださんも132歳の若者さんもありがとう。
投稿者 yagiakemi : 2006年9月30日 20:43
投稿者 132歳の若者 : 2006年9月30日 22:38
こんばんは。
時が流れて、樽の上の目印とツタが、今もその頃のままでそこにあるのは、
当時を知らない私にも嬉しいことです。
静屋通りは、小樽の人たちが夢を語り、旅行者たちが夢を探した場所でしょうか。
もっと遡れば、
石川啄木が青春時代を過ごし、伊藤整が散策した…と、たしか籔半の箸置きに
書いてありましたね。
投稿者 s.fujino : 2006年10月 1日 01:58
この通り、古くは女郎屋のとおりだったと聞いております。
でも、この通りは、高校生の私にはとても憧れの通りでした。
叫児楼・あとりゑなど子供は入れないところがありました。
あとりゑのマスターは 今は違う所でやっているし、
叫児楼さんはスッカリ観光協会の常務理事として活躍中だし・・・
ペーパームーンはそのままありますが、昔は扱っているものがもう少し違った。
ギャル堂も引っ越したし・・・
それでも あのとおりに入ると、昔の自分の記憶がよみがえります。
そういう小路があちこちあるこの街。
だから離れられなくて、愛しいのでしょうね。
これは、高校時代の思い出。
fujinoさんにとっておき。
高校時代付き合った人とのファーストキスは実は第一ビルのエレベーターでした。
そのエレベーターに入るとドキっとするので、今は乗らないようにしています。
投稿者 yagiakemi : 2006年10月 1日 20:58
>fujinoさんにとっておき。
yagiakemi さん、どうも! (^o^)/
> …実は第一ビルのエレベーターでした。
第一ビルというと、今は紀伊國屋書店が入っているビルですか。
ビルの画像はありませんが、小樽の地形図を買いに入ったことがありますよ。
エレベーターを使ったかどうか、忘れてしまいました。
第一ビル、ペーパームーン、あとりゑ、叫児楼、ギャル堂…
yagiakemi さんだけではなくて、きっと、たくさんの人の記憶があって、
自分もその街を歩いているんだなと感じるのは、いいものです。
投稿者 s.fujino : 2006年10月 2日 00:30
その通り、紀伊国屋のあるビルです。
ずっと住んでいると、色んな所に懐かしい記憶があります。
今度乗ってみてね。
そういう感じで、皆さんも思い出の場所があるんでしょうね。
fujinoさんのブログを見ながら、昔に浸っている私でございます。
啄木は小樽の印象はあまりよくなかったようですが、伊藤整には
いい街だったようですよ。
小樽は小林多喜二、野口雨情など、小樽にゆかりがあるようです。
赤い靴の子供の話もそうですし・・・
そういう意味では、小樽って色んな思い出を刻んでいる街なんだなあと
最近思っております。
投稿者 yagiakemi : 2006年10月 2日 15:14
第一ビルのエレベーター、今度乗ってみます。
(もっとも、私一人で乗っても、何事も起こらないでしょうけれど (^^)
>小樽は小林多喜二、野口雨情など、小樽にゆかりがあるようです。
野口雨情のことは、あまり知りませんでした。
(しゃぼんだまの歌詞のことは、テレビで見た記憶がありますが。)
>赤い靴の子供の話もそうですし・・・
赤い靴はいてた女の子が、異人さんに連れられて行っちゃったのは、たしか
横浜の波止場から... だったはず… と思って検索してみたら、ありました!
道新の投稿がきっかけだったのですね。
雨情がこの歌を書いたきっかけが小樽だったことも初めて知りました。
私が、伊藤整の名前を最初に知ったのは、中学生の時の学習雑誌でした。
学研の『中2コース』か『中3コース』で、「名作の中の青春」というようなタイトルの
読書案内の連載があって、そこに、『若い詩人の肖像』が載ったことがありました。
毎回の挿絵を、14、5歳の私は胸をときめかせて眺めたのでしょうが、
小説のストーリーは忘れてしまって、『若い詩人の肖像』というタイトルだけが
記憶に残っていました。
それから数十年たって、私が静屋通りを歩いたり、詩集「雪明りの路」を読む
ことになるとは、不思議ですね。
投稿者 s.fujino : 2006年10月 2日 22:47
小樽の街は、色んな文学を志していた方の多かった街だそうです。
うちに飾ってある絵の画家 国松 登 彼もその一人
そう考えると、結構良い街。
私は高校生の時に、小樽の文学についてのグループ学習を
担任に決められてしました。
その時に、小林多喜二・伊藤整・啄木らに出会いました。
私にとって 多喜二は ほんとに衝撃を作家です。
そういう方が 有名になる前に小樽に居たというのは、嬉しいことです。
こよなく愛する小路小路に 彼らも思いを巡らせたかもしれません。
そう考えての散策もいいものですよね。
時間がホカッとあくとブラブラと散策をしている私。
水天宮から下に下りるのに、色んな路を入っていくと
発見があっておもしろいです。
色んな出会いが、fujinoさんを小樽に導いているのかもね。
投稿者 yagiakemi : 2006年10月 3日 14:47
>うちに飾ってある絵の画家 国松 登 彼もその一人
米華堂さんのお店にあるんですか。すみません、気がつきませんでした。
国松登という名前も知らなくて… (また、楽しみが増えました。)
もしかしたら、何度か美術館に行きましたので、私も作品を見ているかもしれません。
>こよなく愛する小路小路に 彼らも思いを巡らせたかもしれません。
たくさんの人の若い日の思いがこの街に積もっているんだなと、今の私達が感じて、
それを感じとれることが、街の風格や雰囲気を作っているとしたら、
それはもう、今も残る歴史的な建物だけではなくて、そこに流れた時間さえもが
その街で暮らす人や、訪れる人への贈り物なんですね。
>色んな出会いが、fujinoさんを小樽に導いているのかもね。
あの最初の日の数時間が、こんなふうにつながってくるなんて...。 縁ですね。
投稿者 s.fujino : 2006年10月 3日 23:55
fujinoさんとの縁。本当にこのようにつながっているのは 嬉しいことです。
私も桜陽が丘に久しぶりにいけるチャンスがありそうです。
文化開花展の受け付け
もし、手伝いが少なければ行くことになりそうです。
夕焼けの桜陽が丘に行って来ようかしら・・・
手伝いの希望は5時~7時にしました。
久しぶりに制服着てく?(笑)
もう無理ですね。
投稿者 yagiakemi : 2006年10月 4日 20:08
yagiakemi さん、こんばんは。
>夕焼けの桜陽が丘に行って来ようかしら・・・
いいですね~!
from OTARU の階段のお話、ありがとうございました。
2月に行ったら、バスを降りて、ぐるっと回って写真を撮ってみます。
投稿者 s.fujino : 2006年10月 5日 01:24