2009/12/09 (水曜日)

塩谷の講演会資料をいただきました

今年9月、小樽市立塩谷中学校の校長先生にお会いした時に、
近く伊藤整に関する講演会が開催されますから、あとで資料を送りましょう、と
言ってくださいました。

私が千葉に戻って間もなく、講演会の資料が届きました。



校長先生のお手紙とレジュメによると、平成21年度塩谷地区『子どものすこやか
な成長を願う会』の講演会で、講師は竹田保弘さん。演題は「伊藤整とその周辺
の人々」でした。
当日は主に伊藤整の父母についてのお話があり、貴重な資料も展示されたそうです。

いただいた資料は、伊藤整・小林多喜二・石川啄木の三人とそれぞれの父母の
年譜が対比して読める素晴らしいものでした。

 
年譜を読み比べると、こんなことがわかりました。

幌内鉄道手宮ー札幌間が開通したのが明治10年。*1 *2 それから十年目の明治19年、
北海道庁が設置された年に石川啄木が生まれ、小林多喜二の両親が結婚。
その二年後の明治21年には伊藤整の父伊藤昌整が満16歳で小学校尋常科教員の
資格をとっています。

小樽運河が完成した翌年の大正13年に、小林多喜二は小樽高商を卒業し拓銀に就職。
約半年後に、「運命的出会い」とノーマ・フィールドさんが書いた田口瀧子(タキ)と
出会いました。田口タキは2年後の大正15年に小樽を去ります。

伊藤整の詩集『雪明りの路』が刊行されたのは、その大正15年12月のことでした。


資料の伊藤整のらんを見ると、
伊藤整の父伊藤昌整は、明治34年の白神尋常小学校代用教員を経て、明治39年の
ところに「伍助沢簡易教育所」の記述がありました。これが塩谷小学校伍助沢分教場の
前身でしょうか。

それより前には、伊藤昌整が北海道の地を踏む前の明治24年12月、「教員をやめ
千葉県国府台の陸軍教導団へ」とありました。

     ☆

国府台(こうのだい)は現在の市川市で、私のところの隣りの市です。国立国府台病院が
あって、私が小学校一年の夏、バスに乗って診察を受けに行った記憶があります。
伊藤整の父親の足跡が近くにあったことを今回の年譜で初めて知りました。
その後ネットで調べたら、国立国府台病院の場所が陸軍教導団があった場所なのでした。

     ☆

レジュメのご経歴を読むと、講師の竹田保弘さんは、忍路中・末広中・長橋中で
教員生活をされたとのことですので、竹田先生のお教えを受けた方が小樽市内に
たくさんいらっしゃることと思います。


先週土曜日に再び、竹田先生がまとめられた大変貴重な資料をいただきました。
もう少し読み進めてから書いてみたいと思います。

*1 講演会資料の明治10年のらんに「11.28幌内鉄道手宮ー札幌間開始」と書かれています。

*2 その後、講演会を主催された塩谷地区『子どものすこやかな成長を願う会』事務局から、誤植です、と

  コメントでご連絡をいただきました。

s.fujino : 2009年12月 9日 22:25 / 小樽へ

関連エントリー

このエントリーのトラックバックURL

コメント

 

始めまして。
幌内鉄道手宮ー札幌間開通明治10年とあるのは開通は明治13年ではないでしょうか?
もう一度考察を

投稿者 隣の住人 : 2009年12月10日 11:10

 

"隣の住人"さん、指摘ありがとうございました。
もう一度資料を読んだら、明治10年のらんの記述は、「11.28幌内鉄道手宮ー札幌間開始」
でしたので、ひとまず上の本文に注をつけました。

投稿者 s.fujino : 2009年12月10日 20:54

 

藤野さん、ご無沙汰しています。後で送付した資料ですが、実は私はまだ良く見ていません。何せ師走ということで気持ちに余裕がありません。冬季休業中にでもゆっくり読んでみたいと思っています。
ところで来年2月の「小樽雪あかりの路」塩谷会場ですが、伊藤整文学記念碑も会場に実施する運びとなりました。地元の方々がいろいろと準備をすでに始めています。藤野さんが来られるのでしたら、うまく日程が合えばいいですね。ちなみに塩谷会場の日程は2月の6日(土)7日(日)の予定です。  今回はとりあえずここまでとします。

投稿者 塩谷中の校長です : 2009年12月11日 09:29

 

校長先生、こんばんは。先日は資料どうもありがとうございました。
私もまだところどころ読んでみただけですが、内容が素晴らしくて
びっくりしています。
最初の資料のことを書くのが遅くなってしまってすみません。

塩谷会場の日程、ありがとうございました。
初めて伊藤整文学碑の前にあかりがともるのですね!

この数年は、さっぽろ雪まつりと重なる時期を避けて、
雪あかりの終盤の頃にしていました。今年も会期後半にと思って
いましたが、仕事の都合も見ながら、もう一度考えてみます。

投稿者 s.fujino : 2009年12月11日 23:20

 

前略
 「11.28幌内鉄道手宮ー札幌間開始」の件 実は『明治13年』が 正解です。印刷は 事務局が致しました。誤植です…。竹田先生にも照会いたしましたので間違いございません。大変失礼なことをしてしまって大変申し訳なく思っております。 とりあえずお詫び申し上げます。「隣の住人」様によろしくお伝えください。                                                              早々

「"隣の住人"さん、指摘ありがとうございました。
もう一度資料を読んだら、明治10年のらんの記述は、「11.28幌内鉄道手宮ー札幌間開始」
でしたので、ひとまず上の本文に注をつけました。」

投稿者 塩谷地区『子どものすこやかな成長を願う会』事務局 : 2009年12月15日 19:53

 

塩谷地区『子どものすこやかな成長を願う会』事務局様

上の本文の末尾にも書きましたが、塩谷中の校長先生から、その後
竹田先生がまとめられた膨大な資料を送っていだきました。それには、
1ページ1ページ手書きで詳しく解説がありましたので、「隣の住人」さんから
指摘をいただいた時に、もしかしたら講演会の資料とレジュメは竹田先生の
手書きの原稿をもとに事務局で印刷されたのかもしれないと思っていました。

それで、私から連絡を差し上げるのもためらわれましたので、この記事がいずれ
塩谷の地元の方の目にとまるのを待つことにして、ひとまず注をつけた次第です。

ご丁寧にご連絡どうもありがとうございました。

9月に塩谷中の校長先生に塩谷小の校歌を見に連れていっていただいた時に、
車中で、塩谷の『子どものすこやかな成長を願う会』の活動のことも
いろいろと教えていただきました。

前にも書きましたが、今年2月の雪あかりの時には、塩谷小の会場で私も
ほんの少しですが参加できて、大変楽しい時間を過ごすことができました。
来年の雪あかりの路塩谷会場は、ゴロダの丘の伊藤整文学碑前にできる
とお聞きしました。
準備や当日の運営にご苦心があることと存じますが、皆さんのお力で素晴らしい
会場になりますよう念じております。

どうもありがとうございました。

投稿者 s.fujino : 2009年12月15日 21:34


コメントをどうぞ




 ※お名前・メールアドレス・URLをあなたのブラウザのクッキーに保存しますか?



(送信したコメントが表示されないときは再読込をしてください。)

Copyright © 2005-2024 s.fujino All Rights Reserved.