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2005年7月の記事

2005年7月 9日

あの夏の、絵日記の続きを書こう


小学校1年の夏の絵日記が、まるで奇跡のように、今も手元にある。

若い日の父と母と幼い弟、友達のように遊んでくれた犬、次の春に生まれて来る新しい命への期待。 家のまわりの山野、虫たち、草いきれ…。 あの夏の日々の記憶は、僕の宝物。

 でも、回顧に浸るのは、まだ早い。

クレヨンとえんぴつをキーボードに替えて、
あの夏の、絵日記の続きを書こう。

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千葉県に住む一小樽ファンです。
1999年2月、第1回小樽雪あかりの路の期間中に初めて小樽を訪ねて、
夢のような数時間を過ごしました。
以来、毎年の雪あかりの路を楽しみにしています。

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2005年7月19日

雪あかりの路

今年、2月19日の小樽。
10年ぶりぐらいに雪が多くて、こちらの人は「1月に2月のぶんまで一緒に降った。2月は2月でまた降った。」と言っていた。
「小樽雪あかりの路」、今年でもう7年め。今回は、ボランティアはパスして、のんびり楽しむことにした。

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2005年7月20日

再び、新緑の小樽へ

今年、5月27日の画像です。 キタコブシが咲く頃に一度訪ねてみたかったけれど、再びこの季節の小樽へ。 以前、「新緑はどこにもあるから」と、喫茶店のマスターに言われたのに( 『新緑の小樽へ 2003年5月』


手宮線は八重桜が満開で、雪あかりの路が別の世界のことのように思えた。

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2005年7月24日

最初のトラックバックは、小樽へ

「この記事のトラックバックURL」という言葉を初めて見たのは、去年の今頃のことだった。「この記事へのコメント」というのもあって、その時は、新手のBBSぐらいに感じていた。BBSなら自分も仲間うちで開いている。その後、NHKの夜のニュースで、キャスターが「ブログという言葉を聞いたことがありますか」と言っていた。誰でも簡単にホームページが作れる仕組みだという。HTMLなら、自分もそこそこ作れるから、別に簡単に作れなくてもいい…と聞き流した。思えば、うかつだった。

そうこうしているうちに、ウェブサイト「小樽・籔半・麺遊倶楽部」のオーナーが今春、突然「蕎麦屋親爺の独り言」というブログを開設した。それを見て、ブログの素晴らしさにハッとなった。自分も何とか作ってみようと Movable Type を勉強し始めたが、連日、壁にぶつかる。その間にも、新聞の科学欄に「ブログでインターネットの地殻変動が起こる」という記事が載って、気がはやる。タイトルが決まらない、書くべき中身が乏しい、嗚呼、自分は彼の地の蕎麦屋の親爺どのの足元にも及ばない。追い討ちをかけるように、先ほど「TBくださるの指折り数え待ってます。」との激励が。

   

というわけで、もう少しデザインを手直しして、動作も確認したいのですが、ともかくもブログデビューすることにしました。
私のブログのきっかけになったブログは、小樽の 蕎麦屋親爺の独り言 です。
仕組がまだよくわからず迷いましたが、心から感謝をこめて、私の最初のトラックバックを「50年の定番、カレーそば・うどん」の記事に送ります。

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2005年7月25日

ドラマチックじゃなくてもいいけれど

延び延びになっていた自分のブログを前夜ぎりぎりでひとまず仕上げ、最初のトラックバックを送り、4時に起床して、いざ小樽へ。

新千歳空港駅でトラックバック先のブログにつないでみたら、なんと、もう、Mr.FujinoがついにBlogを! と記事を書いてくれていた。小樽に向かう車中で、「次回お目にかかった時にblog出来ていなかったらどうしよう...と、昨晩は焦りました。なんとかデビューできましたので、今度は胸を張ってカレーそばを頂きにお伺いしますよ!」とコメントした。蕎麦屋親爺様、果たして、これから行くぞという謎が解けるか...?

小樽は、手宮線にも中央通りにも運河の中央橋下にも、花が咲きこぼれていた。



ホテルに荷物を置き、運河プラザでビールを飲み、手宮線を歩いて、籔半へ。カレーうどんを待っていると突然大将が現れた。昼も夜も、店にいてもいなくても忙しい方なのに、こうして時間をとって頂いたのが嬉しい。



夕方まで喫茶店のマスターとおしゃべりでも思って最上へ。帰りは小樽公園を散歩しながら、運河のホテルまで歩いた。台風の遠い影響か、天狗山の頂が隠れていた。

天気:薄曇り 午後1時の浅草橋街園の気温 23度。


 

夜は、いつもの...と言っても1軒しか知らない居酒屋へ。コマイを焼いてもらったり、小樽の旨い水で作った豆腐などを頂きながら、ウニの話が。「ウチには時々しか入らないから、明日時間がとれたら市場に行って買って、ホテルに持って帰って食べなさい...。」そんな話をしているところへ、なんと、突然、積丹から海水ウニの配達が!

観光マップかどこかで「ドラマチック小樽」というコピーを読んだことがある。数日間をこの街で過ごせれば、もうそれだけで自分にとって最高の時間だから、別にドラマチックでなくてもいいけれど、この街に来ると、いつも奇跡のような偶然が起こる。今日一日を思い返しながら、ほろ酔いで歩いて奥沢十字街から南樽へ向かい、運河のホテルへ...。

...というわけで、二度目のトラックバックは、前回、私が小樽から帰って来たとたんに "ふじのさんありがとう、いよいよウニ解禁" という悔しい(笑)記事を書いてくださった、蕎麦屋親爺の独り言に送ります。

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2005年7月26日

出会いは偶然ではなかった

日銀通りの緑蔭。その街路樹桝が花で飾られていた。以前歩いた時には気がつかなかったが、今回はゆっくり歩くことができたのかもしれない。プラタナスの落ち葉や根元の花は、この地区の景観協議会の方々が世話をされているという。昨秋、ここでメリーゴーランドの山口さんの姿を見かけたのを思い出した。プラタナスの剪定を市役所の人達と相談されていた。ドラマチックでなくてもいいと思っていても、この街に来るといつも嬉しい偶然に出会う。

小樽の2日目。

遅い朝食の後、北運河を歩いた。「ああ、またこの街にやって来たんだ」といつも思う。途中、散策路のごみを集めていた人とすれ違った。会釈をしたら笑顔で答えてくれた。運河公園に着いて、ここでゆっくりと思ったら、なんと、目の前にメリーゴーランドの山口さんが! 懐かしい笑顔で「あれっ、また来たの?」と。山口さんも軍手をしてごみ集めだった。そして「"雪猫さん"も来てるよ」と。 なんと!


雪猫さんは、私が小樽に向かう数日前、山口さんのブログに書いたコメントがきっかけで、メールで私のホームページの感想を送ってくれた方だ。一小樽ファンの旅行記なのに、地元の人から嬉しい感想を頂いた。どの方ですかと聞くと、南側のソメイヨシノの方を指差して教えてくれた。さっそく飛んで行って、ご挨拶をした。 ああ、またしてもドラマチック小樽。

今日は、運河公園で雪猫さんたちと出会った。去年の秋は、日銀通りで山口さんたちと出会った。それは旅行者にとって嬉しい偶然... と最初は思った。

この街には、愛する自らの街の魅力が壊れないように心を尽くし、いつまでも大切にしていきたいと思う場所のために活動される方々がいる...。
雪あかりの路の最初の年にこの街に来て以来、すっかりつかまってしまった者がいて、この街に来るといつも訪ねる好きな場所がある...。
そんな場所で両者が出会った。
それは、ドラマチックではあっても、「偶然」ではなかったと思う。

 

10時の浅草橋の気温は25度。晴れて日差しが強い。遊覧船に乗って海から小樽の街を見たかったが、波が高く全便欠航。ならば山からと、天狗山に登り、"7月のさくら" の下でいい時間を過ごした。

スペシャルドラマ 六月のさくら(HTB)
錦秋の小樽へ 2004年10月 日銀通り

 

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2005年7月27日

倶知安の美術館へ

3年ぶりに小川原脩記念美術館を訪ねた。小樽は、台風の遠い影響で、朝から本格的な雨。前日の天気予報を見て、今まであまり時間がとれなかった文学館、博物館をゆっくり見て、まだ時間があったら図書館にも行って、一日ゆっくり過ごすつもりでいた。しかし、遅い朝食をとりながら、倶知安までの往復の車窓の楽しみを思い出して、行ってみたくなった。

前に観光案内所でもらった案内図は自宅に置いてきてしまったので、もう一枚と思ったが、今は配布していないとの事。前回親切に教えていただいたのを思い出して、「ここをまっすぐ行って、役場と後志の庁舎と消防署の前をずっと行って、カーブの手前を曲がればいいんですよね?」と聞いたら、そのとおりですと答えてくれた。

2002年8月に画伯が91歳で亡くなられたこと、倶知安に美術館があることを知り、その年の11月に訪ねたのが最初だった。今回はちょうど「しりべしミュージアムロード4館共同展 えかきの歳時記 冬 白い季節の中で」の開催中だった。『冬の始まり』『羊蹄初冬』などを再び見ることができた。会場のディスプレイの文がよかった。

  「いよいよ白い季節に入った。変容の季節なのだ。この変容への急拍のリズムと、流転の完璧な
  演出こそが、生まれてこの方何十編となく体験してきたことにもかかわらず、その都度魅せられ
  てきたことである。...」
  小川原脩が好きな季節、冬。人一倍寒がりな絵描き、小川原脩。でも、かれは人一倍『冬』が
  好きなのだ。 だから、小川原脩記念美術館の歳時記は『冬』

これでもか、これでもか、と雪が降る...という倶知安の冬。そこに生まれた小川原脩さんが好きだった冬。旅行者はどこまでも旅行者なのか。かりそめの旅行者の感興を超えて、いつか自分にも "後志の冬" の本当の魅力を感じられる時が来るだろうかと思った。

 小川原脩記念美術館

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2005年7月28日

小樽、夏の光

この街を海から眺めてみたいと、前からずっと思っていた。着いた翌日はよく晴れたが、波が高く遊覧船は全便欠航。3日目は雨もよう。この日、台風が遠く東の海上に去って、午後は晴れの予報だった。

午前中は再び北運河をゆっくり歩き、運河プラザやあまとうで土産を少し買い、昼食を楽しんでから、祝津に向かった。公開が再開されて間もない鰊御殿を訪ね、遊覧船に乗った。

"OTARU, a northern town, far away from Kobe." と字幕が入ったあの映画のシーンのように、海と街と山が見えた。飛鳥が三号埠頭に入っていた。

 


 
夏の光の中で、日銀通りのプラタナスも、手宮線のレールも、壁のツタも、空も海も輝いていた。初めて訪れた夏の小樽で、いい時を過ごした。 腕や顔だけではなくて、心も日焼けしたと思った。

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